最近とあるネットゲームに麻雀の記事を投稿しています。
その理由は、余りにも酷い打ち手が多いと感じた為。
一定ラインを超えた特殊は個性となりますが、
水準を下回る特殊は傲慢であり、欠点であり、怠惰です。
これは麻雀に限った事ではありませんが、
理詰めで処理出来る部分に関しては処理しておかないと勿体無いです。
個人差が出るのはその先の部分であって、
“理”はその影響下に於いて、誰しもに共通だからです。
“理に傾倒しろ”という訳では無く、
“理で処理出来る部分に無駄な費用や労力を割くな”という事です。
理を知った上で、それに敢えて逆らうのは構わないのです。
寧ろ私はそれを推奨したいとさえ考えています。
何せ、人間が捉え得る理には明らかな限界がありますからね。
そうでは無く、何と言いますか――
常識――という言葉も、実は使いたくないのですが――
兎に角そういった部分は最低限備えておくに越した事は無く、
また、備えた時に初めて土俵に上がるのだと思うのです。