神之戯言

暇で暇で暇が無い究極の暇人が放つ総合エンターテイメント。

若し神がいるとしたら、世界は何故こんなにも巫山戯ているのか‥?
思うに、所詮この世は神の戯言が具現化された1つに過ぎないのだと。

2k8.1.12 God-Boss

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締め:最近の疑問に就いて
というワケで、締めです。
最後は、私が最近思っている疑問を挙げておきましょう。

1.量子力学における多世界解釈を前提とした時、
 論理空間の内の事実の総体が世界であるとした見解は、
 それでも尚成立すると言えるのでしょうか?

 “神はサイコロ遊びを好まない”
 アルベルト・アインシュタイン

2.広義の娯楽小説の構成要素を
 キャラクタ、プロット、ストーリー、トリック、リーダビリティとした場合、
 その優先順位は? 或いは、それ等を超える要素があるのでしょうか?

 “小説ではなく、流水大説です”
 清涼院流水

3.将来的に物体を完全に複製出来る手段が生まれた時、
 例えばそれ迄に存在した総ての絵画は、
 押し並べてその価値を失うのでしょうか?

 “本物は1つでいい――ッ”
 ゼロ

是非、検討して行きたいものです。
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理を利用する
最近とあるネットゲームに麻雀の記事を投稿しています。

その理由は、余りにも酷い打ち手が多いと感じた為。
一定ラインを超えた特殊は個性となりますが、
水準を下回る特殊は傲慢であり、欠点であり、怠惰です。

これは麻雀に限った事ではありませんが、
理詰めで処理出来る部分に関しては処理しておかないと勿体無いです。
個人差が出るのはその先の部分であって、
“理”はその影響下に於いて、誰しもに共通だからです。

“理に傾倒しろ”という訳では無く、
“理で処理出来る部分に無駄な費用や労力を割くな”という事です。

理を知った上で、それに敢えて逆らうのは構わないのです。
寧ろ私はそれを推奨したいとさえ考えています。
何せ、人間が捉え得る理には明らかな限界がありますからね。

そうでは無く、何と言いますか――
常識――という言葉も、実は使いたくないのですが――
兎に角そういった部分は最低限備えておくに越した事は無く、
また、備えた時に初めて土俵に上がるのだと思うのです。
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知識の評価方法が
思うに、知識のハードルは日に日に増していると。
沢山の知識がアドバンテージでは無く必須事項に格下げされ、
専門知識の領域はどんどん上昇して行きます。

必須事項の知識は蔓延し、我々はそれを確保するだけで精一杯です。
この様な状況が続くと、必ず人間の方が先に音を上げます。

ならば、それを救うのがネットワーク――
或いはコンピュータそのものなのでしょうか。
知識に優劣を付け、分別し、管理する事が求められるのでしょうか。

然し、人間は知識に関しては単純には出来ていません。
興味という傾向が、その認識の割合を左右するからです。
興味のある方面の知識は沢山――半ば無意識に覚え、
逆に興味の無い知識は覚えようとしても抜けて行って仕舞います。

本来ならば知識の評価に興味を加えてはならないはず。
有用性や機能性云々が先ずは重視されるべき。
だからこそ辞典は、その中に無機質に単語が並ぶのですから。

この状況は、知識の評価方法が変化していると言わざるを得ません。
そして、人はそれに対応させられるのですね。
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